大高よし男の資料がとても少ないので難儀していましたが、ヤフオクをなんとなく検索していたら、昭和18年5月21日初日、京都新京極・三友劇場のパンフに「大高よし男」の名前を見つけました!
ドキドキしながらの初入札。
そして無事に落札。本日、手元に届きました!
(芝居のパンフなのに、似つかわしくない勇ましい言葉が並んでいるのが、戦時中を感じさせます)
この興行については、『近代歌舞伎年表 京都篇』の別巻に記録されていますが、新聞広告が典拠なので情報は限られたものになります。
実際に手に取って見てみると、前年に横浜で大高と共演した「宮崎角兵衛」の名前があったり(こちらの投稿に書きました)、第三演目『黎明新日本』では大高が殺陣をつけていたということなどもわかって、とても興味深いです。
大高よし男の横に「宮崎角兵衛」の名前が見えます |
この作品では「殺陣…大高よし男」と掲載されています |
これまで調べた範囲では、この公演を最後に、戦時中の大高の記録は消えてしまいます。ひょっとすると、この後、大高は召集されて戦地へ赴いたのかもしれません。
だとしたら、大高はどんな思いでこの舞台に立っていたのでしょうね。
いずれにしても、このパンフ、大高自身が見たかもしれないし、少なくとも「大高の姿を見たことのある人」が持っていたものだとは言えるでしょうから、なかなかに感慨深いものがあります。
ヤフオク、侮れません。
(出品してくださった方、ありがとうございます)
(出品してくださった方、ありがとうございます)
→つづく
2 件のコメント:
五月マリ子という俳優は時代劇と歌舞伎の両方に出ていたんですね。
コメントありがとうございます。
大高よし男も時代劇、歌舞伎、現代劇にも出ていたようなので、器用な役者が多かったんでしょうね。
さらに「五月マリ子」が、旧杉田劇場のポスターにある「高杉マリ子」と関係があるのかどうか、そのあたりも気になります。
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