今年の調査も仕事納め。よくぞここまでという気持ちと、まだまだ緒に着いたばかりという気持ちと、これから先の難航におののく気持ちとごちゃまぜの納めです。
そんな中、年内最後にわかったことは2つ。
ひとつ目は、杉田劇場に出演していた大高一座のポスターから、座員の「生島波江」と「藤川麗子」が、戦前・戦中に横浜末吉町の横浜歌舞伎座を拠点に活動していた「日吉良太郎一座」のメンバーだったこと。
(大高一座の公演ポスター/藤川麗子と生島波江の名前がある) |
横浜郷土史の冊子『郷土よこはま』No.115は横浜の演劇史研究家、小柴俊雄さんによる「日吉劇」の特集号ですが、その中に日吉良太郎一座の座員としてこの2名の名前が記載されているのです(『郷土よこはま』No.115 「日吉劇」特集 / 横浜市図書館, 1990)。
もうひとつは、1944(昭和19)年4月1日付の神奈川新聞に、伊勢佐木町四丁目にあった「敷島座」の四月興行で「近江二郎一座」が池俊行という作家の『春風の家』を大江三郎演出で上演するという記事があったことです。
これで大江三郎が近江二郎一座の文芸部員であることはほぼ確定といっていいかなと思います。近江二郎一座は1943(昭和18)年の正月の敷島座で興行していますし、同年8月には川崎大勝座、9月には再び敷島座、1944(昭和19)年には記事の通り、4月に敷島座、6月・7月が川崎大勝座ですから、戦時中は京浜地区でかなり頻繁に興行していたことがわかります。大江三郎も劇団に帯同して、横浜や川崎は馴染みの地になっていたはずです。
1946年3月23日からの弘明寺・銀星座の開場記念興行の広告に近江二郎一座が「ヨコハマの人気者」と書かれているのもうなずけるところです。
余談ですが、横浜市立図書館のデジタルアーカイブに、この銀星座の緞帳写真が掲載されています(→こちら)。
ここに見られる木の長椅子や舞台のタッパなど旧杉田劇場にも似たところがあります。また、戦後の小芝居の小屋の舞台照明がこんな感じだったのかというのも少しだけわかる貴重な資料です(この時代の劇場の、客席や入口などについては証言が残っていたりするのだけど、舞台機構のことはほとんどわからないのが現状です)。
前回の投稿で、1930年から剣劇の欧米巡業を決行した「筒井徳二郎一座」のことを紹介しましたが、実は同じ時期に近江二郎一座もアメリカやハワイで興行をしていたことがわかりました。国際日本文化研究センター(日文研)のデータベースに近江二郎一座のカリフォルニア公演を報じた新聞記事(広告)があります(→こちら)。
ここに記載のある座員のうち、深山百合子、戸田史郎は上記の銀星座の広告にも名前があります。戦前にアメリカで公演していた一座の役者たちが、戦後の弘明寺で舞台に立っていたという事実も、僕はまったく知らなかったことで、大高ヨシヲをたどる調査が、思いがけない広がりを見せていることに驚かされています。
前にも書きましたが、銀星座には「自由劇団」という座付き劇団があって、そのメンバーの一部が日吉良太郎一座の座員であったそうなので、銀星座の座付きと杉田劇場の座付きは同じような劇団であったことが想像されます。両劇場は地域が近いこと(京急で4駅)、開場時期が近いこと(1946年の1月が杉田、3月が銀星座)、双方に近江二郎一座と日吉良太郎一座が関わっていたことなど相似点が多く、かなり密接な関係をもっていたのかもしれないと推測されるところです。
磯子といえば、美空ひばりの出身地として有名ですが、あの有名な美空ひばりからしてデビューのエピソードには確証がないわけで、いろんな本によって書いてあることがバラバラだったりします。
現杉田劇場のTさんが丹念に資料を調べて、結果、美空ひばりは1946(昭和21)年の3月か4月に杉田劇場でデビューしたというのが正しい情報のようですが、いまだに磯子町にあった「アテネ劇場」の方が先、という情報がまことしやかに流布していますし、中にはもっと雑に「横浜上大岡のアテネ劇場」なんて書かれているのもあるくらいですから、わずか70数年前の情報でも、明確な記録の残っていないものは事実関係がぼんやりしてしまうんだな、としみじみ思います。
また、今を生きる人間の未来への責任として、現在の公演資料なども「価値がない」と即断せず、なるべく多くのものを後世に残すことが、未来の人々にとってなんらかの役に立つことになるのだという思いを、大高調査を通じてさらに強くしたところです。
さてさて、2023年1月1日は、旧杉田劇場が開場してからちょうど77年。人間で言えば喜寿の年にあたります。
そんな77年前、杉田劇場に関わっていた人々が何を考え、何を望み、何に喜び、何を求めたのか。
そして、激動の昭和初期。戦前、戦中、戦後と杉田の街がどう変貌していったのか。
磯子に転居してからまだ43年の僕が、記憶と資料と証言を総合しての調査は、はからずも地域の歴史を探る道と複雑に交錯しながら、ゆるりゆるりと続いていきます。
そんなこんなで
大高ヨシヲを探せ!
今年の旅はこれにて終幕です。
いささかマニアックな調査ではありますが、来年もどうかご贔屓に!
(→つづく)