大高よし男が東京・横浜あたりで舞台に立った劇場は、わかっている範囲で
浅草・金龍館横浜・敷島座川崎・大勝座
の三館です。
資料調査も行き詰まっているので、現地調査で気を紛らわそうと、先日、このうちの二館、浅草と横浜の劇場跡地を訪ねてみました(いや、別の用事があったついでなんですけどね)。
浅草・金龍館
まずは浅草の金龍館。
この劇場は戦後「ROXY」「浅草松竹」という映画館になったそうですが、とても歴史のある建物で、昔の写真を見ると、とても洒落たファザード(正面)からは、かつての浅草六区の賑わいが感じられます。
建物としては1990年代までは残っていたようで、「都市徘徊blog」というブログに再開発前の写真が掲載されています。また別のブログ「ぼくの近代建築コレクション」には以前の劇場の側面の写真など、貴重な写真も掲載されています。
大高よし男は(おそらく)剣劇の役者で、金龍館に出演した時も女剣劇・伏見澄子一座に参加していました。そんな彼の出る舞台ですから、いまの大衆演劇の劇場や演芸場をイメージしがちですが、写真を見るともっとモダンな劇場だったことがわかります。
ここには金龍館のほかに「常盤座」「東京クラブ」という劇場(映画館)が並んで建っていたそうで、中が通路でつながっていたため、外に出なくても移動が可能ということで、「三館共通チケット」なんかもあったそうです。
歴史ある立派な建物でしたが、三館とも六区の再開発にともなって解体され、現在、跡地は「ROX・3G」というショッピングビルになっています。
壁面の色合いや質感などに若干の面影を残しているのかもしれませんが、劇場があったという記憶はほとんど感じられません。
もっとも、観光地としての浅草は大変な賑わいで、六区あたりもたくさんの人であふれていました。木馬館や浅草演芸ホールをはじめ、いくつかの劇場がいまも営業を続けていて、劇場街としての記憶がしっかり受け継がれている印象でした。
浅草公会堂前にある「スターの手型」には、横浜ゆかりの芸能人も結構いて、大高を調べ始めてからあらためて見ると、感慨深いものがあります(磯子区にゆかりのある人を中心にピックアップしてみました:敬称略)。
横浜出身の女剣劇スター・大江美智子(南区南太田出身) |
言わずもがなの美空ひばり(磯子区滝頭出身) |
これまた言わずもがなの桂歌丸(南区真金町出身) (横浜敷島座によく行ったらしい) |
高峰秀子は、磯子区岡村出身の松山善三と結婚 (一時期岡村に住んでいて、蕎麦店「浜松屋」によく行っていたそう) |
最期まで磯子区山王台に住んでた田中邦衛 (浜中学校裏のバッティングセンターに通っていたらしい) |
旧杉田劇場に出演していた浪曲師の三門博 |
ちなみに、近江二郎が不二洋子一座に参加していたのが「松竹座」で、これは「ROX」が建っているところにありました(金龍館の向かい)。また、前々回の投稿で紹介した近江二郎の「グロテスク劇」を上演していたのは「公園劇場」で、 現在は「ROXDOME」となっています(金龍館の裏手)。
位置関係がわかる地図 |
横浜・敷島座
一方の横浜ですが、敷島座というのは当時の住所で「賑町2-5」、現在の住所でいうと「伊勢佐木町4-112」にありました。
曙町のいわゆる「親不孝通り」と伊勢佐木町通りの間にあって、牛鍋で有名な「荒井屋」のすぐそばです。
このエリアですから、当然、昭和20年5月29日の横浜大空襲で焼けてしまって、面影も何もありません。
いまはコンビニや美容室がならぶ一角で、このブロックは伊勢佐木町側が「112番地」、親不孝通り側が「113番地」となっていますので、敷島座は伊勢佐木町通りに面していたことがわかります(古いクリーニング店「松屋クリーニング」の地番が伊勢佐木町4-113)。
横浜敷島座跡地(面影はありませんが) |
都市発展記念館が発行している図録「シネマ・シティ -横浜と映画-」には大正時代の敷島座(当時は「敷島館」)の絵葉書が掲載されています。
大正中期というキャプションがあるので、関東大震災前でしょうから、これがそのまま大高のいた時代の建物ではないと思いますが、少なくとも街の雰囲気はそう遠いものではないような気がします。
図録『シネマ・シティ』(横浜都市発展記念館刊)より |
僕が学生だった35年ほど前までは、馬車道から伊勢佐木町にかけては、まだ劇場街だった雰囲気が残っていて、敷島座の跡地近くには、伊勢佐木町東映(旧賑座/朝日座)、横浜にっかつ・横浜オスカー(旧喜楽座:日活会館は現存)、横浜ニューテアトル、オデオン座(再興)、若葉町の横浜日劇、東映名画座、長者町の横浜松竹、横浜ピカデリー、羽衣町の関内アカデミー、馬車道の東宝会館、横浜市民ホール(旧 横浜宝塚劇場、現 関内ホール)などが林立し、関内・伊勢佐木町といえば映画街という印象が強かったものです(サイト「消えた映画館の記憶」横浜市中区に詳細な情報があります)。
僕の知るかぎり、伊勢佐木町近辺の実演の劇場や演芸場は「CROSS STREET」くらいなもので、いわゆるブラックボックス的な劇場空間は皆無です(ライブハウスやキャバレーのステージはいくつかあるのだろうけど)。
イセビルの地下や吉田町に劇場的な空間ができたこともありましたが、いまはもう活用されていないと思います。
「街の記憶」という言葉がしばしば話題になるこの頃ですから、若い演劇人や芸人たちが活躍できる劇場やライブハウスがたくさんできて(行政が税制面や助成金で支援してもいいと思う)、伊勢佐木町が劇場街として再興し、第二の大高よし男が出てくる土壌が育つといいな、なんて思っていたりもします。
(アクセスもいいし、きっと下北沢や池袋に匹敵する劇場街になると思う)
ちなみに、大高よし男が舞台に立った記録はありませんが、日吉良太郎一座が拠点としていた「横浜歌舞伎座」は黄金町から阪東橋へ抜ける「藤棚浦舟通り」に面したところにあって、跡地には「末吉町4丁目公団住宅」が建っています。
横浜歌舞伎座跡地(末吉町4丁目公団住宅) |
ありがたいことに、このビルに入居している会社が入口に銘板を設置してくれているので、ここが劇場跡地だとわかります。
入口脇の柱に横浜歌舞伎座跡を示す銘板 |
記念碑のような大々的なものでなくても、こういう銘板があるだけで歴史が継承されていると感じられ、とても嬉しくなります。
(横浜歌舞伎座については、「はまれぽ」に詳しい情報が掲載されています)
ついでに言えば、現在の中郵便局は「横浜座(旧雲井座)」という劇場の跡地に建っています。伊勢佐木町やその近くが劇場街だったことがよくわかります。
というわけで、今回は資料調査の合間に、簡単な現地調査の報告となりました。
→つづく
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