1952(昭和27)年5月、銀星座で市川栄舛大一座「劇団いさみ座」第一回旗上公演が行われるとの広告が出ます。
| 1952(昭和27)年5月10日付神奈川新聞より |
そもそもが小芝居に詳しくない上に「いさみ座」という名称も初めて聞くものですから、唐突に出てきた劇団という印象を受けます。
ただ、座組を見るに、これまでの市川栄舛一座に「いさみ座」と名前をつけただけのようにも思えます。こうした売り出し方で、やや凋落気味の、地域での歌舞伎(小芝居)の再興をしようとした興行的な戦略だったのかもしれません。
「いさみ座」にどういういわれがあるのかは不明です。この一座が長い目で見ると喜楽座や横浜歌舞伎座の更生劇の流れを汲むものであることを思うと、その名前は明治期の「勇座」にちなんだもののように思われますが、関連があるのかどうかについてはよくわかりません。
この座組には市川女猿がいる一方で、市川門三郎の名前はありません。この時期、門三郎はどこかの劇場に腰を据えての興行というより、反町劇場や前回の投稿で言及した川崎花月座など、横浜や周辺地域の劇場を短期間で移動する、近郊の旅興行を続けていたようです。
以前、神奈川県歌舞伎連盟のことを書きましたが(こちら)、その顛末を経てなのでしょうか、横浜(神奈川)の歌舞伎(小芝居)は市川栄舛が取り仕切るようになったようにも感じられるところです。
下衆の勘ぐりで、市川小太夫と市川栄舛の間に何らかの確執があったのではないか、と考えていたわけですが、いずれにしてもこの時期になると、小太夫の姿は神奈川県の興行には見られなくなり、歌舞伎といえば市川栄舛か市川門三郎という形に収斂していきます。
実は資料を再調査していく中で、神奈川県歌舞伎連盟ができる少し前、昭和25年1月、杉田劇場での「東京若手花形歌舞伎」の興行の際に「市川小太夫口上」の文言があることに気づきました。「連盟結成」の一年半ほど前のことです。
| 1950(昭和25)年1月17日付神奈川新聞より |
広告には「市川栄松」の名がありますが「栄舛」の誤りと思われます。
ここで小太夫がどんな口上を述べたのかわかりません。ただ、その後の展開を思うと、自分も横浜の地で歌舞伎を盛り上げたい、というようなことを言ったのかもしれません。そして、これを契機に小太夫が神奈川の歌舞伎(小芝居)との関わりを深めていったのではないかとも想像できます。
この頃の銀星座はまだ自由劇団が根城としていて、新派や剣劇ばかりを上演していた頃ですから、歌舞伎の入りこむ余地はなかったわけで、歌舞伎関係者にとっては、杉田劇場が頼みの綱というようなところがあったのかもしれません。
さて話は戻って市川栄舛の「いさみ座」ですが、5月11日に始まったこの興行は情報欄や広告を追っていくと、6月の下旬まで続いたものと思われます。1ヶ月ないし1ヶ月半の興行です。
| 1952(昭和27)年6月15日付神奈川新聞より |
余談になりますが、いさみ座の後の銀星座ではストリップの興行が始まります。
| 1952(昭和27)年6月30日付神奈川新聞より |
広告にも大きく出るような形のストリップは、杉田劇場や銀星座ではそれほど多くありませんから、珍しいものではありますが、実はそれ以上に興味深いのは隣の広告です。主にストリップの劇場としてすでに名高い存在であった「横浜セントラル劇場」で梅澤昇一座の興行が行われたというのです。
横浜セントラルではこの直前、ストリップと大倉千代子一座の合同公演(?)がしばらく行われていました。かつては三吉劇場や杉田劇場で大々的に公演を打っていた大倉千代子も、この頃になると単独興行が難しくなっていたのか、ストリップとの併演で凌いでいたようにも見えます。
しかし梅澤昇ともなるとさすがにそうした形態での興行はできなかったのでしょうか。梅澤一座を迎えて、ストリップが上演できなくなった分、銀星座が替わりにそれを引き受けたようにさえ思えてきます。
そんな梅澤昇一座からして、この少し前には川崎花月座でも興行をしていますし、浅草などでの実演が厳しさを増す中、神奈川など周辺に活路を見出していたようにも感じられます。その行き着く先が数年後の弘明寺・梅沢劇場ということになるのかもしれません。
戦前から続く実演の、受難の時期が本格的に始まったような印象を受けます。
| 1952(昭和27)年5月31日付神奈川新聞より |
さて、この年の11月10日には銀星座が閉場してしまうので、栄舛の「いさみ座」の名称での歌舞伎はおそらく半年ほどの短期間の活動で終わってしまったのではないかと思われます。
とはいえ、歌舞伎の興行はしぶとく(?)残っていて、この先、銀星座でも歌舞伎は細々とながら続いていたようです。
ちなみに、昭和29年に開場して、33年には閉場してしまう弘明寺・梅沢劇場の最後はかたばみ座の公演でした。
そんなこんなで、今回は市川栄舛の劇団いさみ座についてのお話でした。
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