旧杉田劇場の従業員で、高田菊弥の甥だった片山さんの記憶証言は、杉田劇場のウェブサイトにも掲載されていて(→こちら)、これまでもたびたび参照してきました。
詳しく読むと、記憶違いなどもいくつかありますが、実際にその場にいた方の言葉ですから、不明な点の多い旧杉田劇場の推移を知るには貴重な証言で、この内容の事実関係を再確認することが僕の調査の基本線のひとつでもあるわけです。
昭和21年2月、大高よし男が専属劇団の座長と決まって、あわただしく準備が進められていった経緯を語る中に、こんな発言があります。
"小道具類は、弘明寺観音様のウラの方に山本小道具店があり、狂言の変るごとに店に借り入れに行き、リヤカーを引っぱり栗木の坂道を通り(浜中学校手前の切り通し・杉田3丁目29から栗木2丁目の笹下道路)、上大岡の花街を通って山本小道具店に通いました"
具体的な名前は大高につながる可能性もありますから、弘明寺観音の裏にある山本小道具店は当然、大きな手がかりになるだろうと、あれこれ調べていましたが、これまでその場所を特定することはおろか、どんな店だったのかも確認できずにいました。
それが先日、別件で、長く横浜のアマチュア演劇で活動してきた知り合い(大先輩=80代男性)と話している際、役者が激しく動いても衣装が乱れない着方という話題の中で、そのやり方を「山本のおばさんに教わった」と話してくれたのです。
「山本の」と、あたかも僕がその人を知っているかのように言うので、恥を忍んで尋ねて見たところ、弘明寺に衣装や小道具を貸す店があったんだ、と話してくれたわけです。
なんと、その方は子どもの頃、山本小道具店に出入りして、かわいがられていた上に、芝居に関わるさまざまなことを教えてもらっていたと言うのです。さらに聞いてみると、芝居小屋だった銀星座にもよく出入りしていたのだとか。
まったく思いがけない話で、別件も忘れてあれこれと興奮気味に聞いてましたが、いかんせんその日は別件。銀星座のことはひとまず後日ということにして、それでも山本小道具店の位置だけはざっくりと場所を聞き出しておいたわけです。
で、先日、昭和30年代の明細地図を確認してみた結果…
ありました!
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| 昭和35年 南区明細地図より |
地図には「山本小道具店」ではなく「演劇用品 山本」とあります。明細地図の作成は現地調査に基づくそうですから、実際、そういう名称の看板なり表札なりが掲げられていたのだと思います。
片山さんの証言にあった「弘明寺観音のウラ」というのは、文字通りの裏ではなく、杉田や上大岡から見れば「手前」にあたる場所で、住所でいうと中里町、現在の住所だと南区中里3丁目付近、京急の高架下にある「みうら湯」の近くだったのです(現在地図の星印のあたり)。
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| Googleマップより |
南区の明細地図は昭和32年、35年、39年と続きますが、昭和39年の地図にはただ「山本」とだけ書かれているので、昭和35年から39年の間に廃業したのだと思われます。実際、私が話を聞いた方も、昭和30年代の後半には店を閉めていたはずだと言っていました。
山本小道具店の少し先には梅沢劇場があり、その先は弘明寺商店街で、銀星座もすぐ近くです。どちらの劇場にも山本小道具店がさまざまな衣装や小道具を貸し出していたのだそうです。
昭和20年代の終わりから昭和30年代のはじめにかけて、劇場は軒並み閉場しますから、時流を受けて山本小道具店も廃業・引退ということになったのでしょう。
それでも後年、先輩がアマチュア演劇を始めてからも、上述のように衣装や小道具などのアドバイスは受けていたようだし、当然、大高よし男や鈴村義二が山本小道具店に出入りしていた可能性もあるわけで、そのあたりも含めて、疑問点などまとめて、じっくり話を聞いておきたいと思っています。
(大高の葬儀写真に山本さんが写っていたりするのかも)
そんなこんなで、今回は旧杉田劇場もお世話になったという弘明寺の山本小道具店についてのお話でした。
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〔お願い〕大高よし男や近江二郎など、旧杉田劇場で活動していた人々についてご存知のことがありましたら、問合せフォームからお知らせください。特に大高よし男の経歴がわかる資料や新たな写真が見つかると嬉しいです。


2 件のコメント:
偶然にも山本さんをご存じの方にお話が聞けてラッキーでしたね。
こういうつながりが大切なんですよ。
ここから芋ヅル式にもっと色々な事実が出てくれば良いですね。
写真とかね。
ありがとうございます。まったくそうですね。先入観なく話を聞くと、いろいろな事柄がつながってきます。
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