国立劇場芸能資料室が出した「歌舞伎資料選書」の中に三宅三郎著『小芝居の思い出』という本(冊子?)があります(1981年刊)。
この本の最終章は「湘南の小芝居」という見出しで、ここにはなんと杉田劇場と鎌倉の劇場についてのかなり詳しい記述があるのです。
美空ひばりのデビューとの関係で、旧杉田劇場に言及した本なり文章は多くありますが、劇場そのものについて書かれたものは多くありません。『小芝居の思い出』は僕の知る範囲では、片山茂さんの証言とならんで、杉田劇場の内部の様子などが詳細に書かれている数少ない貴重な記録です。
残念ながらこの本、横浜の中央図書館にも県立図書館にも収蔵されておらず、古書店にも出ていないので、東京に出向かないと実物を参照することは難しい本です(演劇資料室にはあるのかしらん?)。
ところが、ありがたいことに、国会図書館のデジタルコレクションに全文がアップされているので、自宅に居ながらにして読むことができるのです(こちら)。
あとがきによれば、著者の三宅三郎(1901-1979)は「第二次世界大戦前から戦後にかけて長く活躍した劇評家」で、「国民新聞」「産経新聞」「スポーツニッポン」などの劇評を担当したそうです。
この本(冊子)の文章を書いた頃は鎌倉に住んでいたようですね。
というわけで、杉田劇場に関する記述をいくつか引用してみます。
まず、著者の三宅三郎が杉田劇場を訪れたのは
"私の片瀬の家の近くに、大へん門三郎贔屓の八十を越す芝居好きの老婦人がいて、「横浜の杉田劇場に行って是非門三郎を見て下さい。巧いもので、どんな役でも立派にやります。それに、その杉田劇場では、まぐろのおすしを売っていますよ」"
と言われたのがきっかけなのだそうです。
"鎌倉からバスで横浜市内に入り、それから市電で行ったのであるが、道路も悪く難行苦行して横須賀街道の海辺にそった杉田に、たどり着いた"
こんなふうに書かれてしまうと、杉田がどんな僻地だったのかと思いますが、「バスで横浜市内に」というのはおそらく鎌倉街道を弘明寺あたりまで来たのでしょうから、当時の道路事情を考えればなかなか大変だったと思われますし、弘明寺から市電で杉田というのも大回りの経路で、「難行苦行」もそんなに大袈裟な表現ではないのかもしれません(ちなみに「横浜市外の杉田劇場」という記述もあるので、市電の終点という意味でも一般の人からすれば、当時の杉田には場末感があったのでしょうね)。
"杉田劇場という小屋は、電車通りにあるのだが、海岸にある工場のバラックを建て直したものだ"
「工場を建て直した」というのは、オーナーの高田菊弥が戦時中に経営していた日本飛行機の下請け工場(東機工:合板でプロペラを作っていたそう)のことで、片山さんの証言とも一致する内容です。「バラック」とあることからしても、そんなに立派な建物ではなかったことがわかります。
旧杉田劇場正面(杉田劇場所蔵) |
上の写真は『小芝居の思い出』よりも後年(おそらく昭和24年か25年)のものですが、よく見ると劇場前の道路に市電の線路が見えます(電車通り)。
残っているロビーの写真からもそんなに立派な建物という雰囲気は感じられません。
旧杉田劇場ロビー(杉田劇場所蔵) |
たしかに「バラック」といえばバラックのようでもあります。
さて、この本には内部の様子が詳しく書かれています。
"見物席は土の上に腰を下すのだが、後方の席は座れるようになり"
現存する写真(昭和25年のもの)では「土の上に腰を下す」という感じはなく、前方にも椅子席があるように見えます(背もたれなしの5人掛けベンチのようなものか?)。
旧杉田劇場客席(杉田劇場所蔵) |
つまり、後年になってから前方も椅子席になったと考えられるわけで、著者が訪れた時点では、舞台に近いエリアがまだ桟敷席だったということになります。
上の引用文に続いて
"長い花道もついていた"
ともあります。
旧杉田劇場舞台(杉田劇場所蔵) |
花道の全景はわかりませんが、写真を見るとたしかに舞台下手から斜めに花道が設置されていて、「長い」かどうかはわからないものの、見た感じ広いなという印象はあります。小芝居の小屋としては長い花道だったのかもしれません(下の図面にも花道があります)。
旧杉田劇場図面(杉田劇場所蔵):上方が国道16号線(電車通り) |
客席や舞台についての記述はここまでで、著者の「お目あて」でもあった寿司については
"注文をすると、むろんヤミであるが、薄い真っ赤なまぐろの握りを、三つ皿にのせて運んできた。連れの人と二人前だけで品切れと断られた"
とあり、続いて
"もっと金を出すからと言ったら、なお持ってきたかも知れなかった。われながら不覚であった"
ともあります。劇場でありながらヤミ食堂みたいなところもあったのでしょうか。
図面でもわかるように、劇場入口のすぐ右手に喫茶室があって、おそらくここが食堂の役割も担っていたのでしょう。上にもあげた後年の劇場正面写真を拡大すると「焼きイモ」を売っていたこともわかります。
さて、三宅三郎の観察眼は観客の行動にも及びます。
"おもしろいのは、幕あいになると、おおかたの見物は、席を立って右側の出入り口から、海岸のほうに出て行ってしまうのだ。そして柝の音がして、芝居がはじまろうとすると、バケツや風呂敷づつみを下げ、ぞろぞろと入ってきて、自分の席について、芝居を見るのである"
この光景を不思議に思って近くの人に聞いてみると
"「汐がひいているので、貝を掘りにゆくのですよ」とその人は答えた"
のだそうです。
杉田劇場の裏手は海で、化粧をしたままの役者が泳いだなんていう話は伝わっていますが、観客が潮干狩りをしていたというのは初めて知りました。
実際、磯子の海辺では海水浴も潮干狩りも海苔の養殖も行っていたのですから、杉田劇場の裏手でも幕間にそんなことをしていたとしてもおかしくはありません。芝居が目的なのか潮干狩りが目的なのか、よくわからなくもなりますが、なんとものどかな様子でちょっと楽しそうです。
ところで、著者が杉田劇場に行った日は
"茂々太郎時代の九蔵と市川門三郎などの一座であった。九蔵の牛若丸、門三郎の弁慶で、義太夫の「橋弁慶」や「十六夜清心」などをしていた"
のだそうです。
調べてみると、茂々太郎時代の九蔵というのは、五代目市川九蔵のようです。
これだけの情報がありますから、なんとか三宅三郎が杉田劇場を訪れた日を特定してみたい気持ちがムクムクと湧いてきます(悪いクセ)。
まずは潮干狩りをしていたことから、時期としては春から初夏でしょう。「終戦後、間もないころ」という記述もあることから、開場した昭和21年か22年だろうと考えられます。
片山さんの証言の中には
"この頃、劇場の客席は土間だったが、雨の日は足もとがすべって危ないとのこ とで一日休館として、アスファルト敷きにし、少し格好が良くなりました"
と書かれていますから、当初の客席の様子としては土間だったわけで、椅子席の有無は別として、上に引用した「見物席は土の上に腰を下す」と矛盾はありません。アスファルト敷きの工事がいつだったのか不明なものの、総合して考えると『小芝居の思い出』の内容は、開場してすぐ、昭和21年の早い時期のことではないかと思います。
実は、市川門三郎が初めて杉田劇場に来たのがいつなのかも、よくわかりません。
一座の名前が新聞広告に載るのは昭和21年6月1日が最初です。
1946(昭和21)年6月1日付神奈川新聞より |
ここには「久々に御目見得する歌舞伎十八番もの」と書かれていますが、門三郎一座が「久々」なのか、歌舞伎十八番ものが「久々」なのかよくわからないのです。
ただ、全体の雰囲気からして、これが市川門三郎一座の初来演という感じには読み取れないことから、門三郎は開場まもない1月から3月など、すでに早い段階で杉田劇場に一度登場していたのだろうとは推測できます。
6月1日以降、市川門三郎一座の広告は頻繁にでてきますが、三宅三郎の言及する『橋弁慶』『十六夜清心』の記録は見当たりません。
ということは、広告が掲載されなかった公演を見たということになりそうです。また、片瀬の老婦人が勧めていることからして、1月や2月というのも(あまりに早すぎて)考えにくいところです(潮干狩りの時期とも合わない)。
上掲の広告に「狂言五日毎に差替上演」とあることからすると、6月1日を初日として門三郎一座の6月興行が続いたと思われます。一方で、2月以降、3月・4月・5月は主に大高よし男一座が興行していたと考えられることからして、門三郎一座が興行をしたとは考えにくいところです。
というわけで、三宅三郎が杉田劇場を訪れたのは6月中旬以降ではないかと推測できます。
となると「アスファルト敷き」の工事もそれ以降となりそうです。考えてみれば「雨の日は足もとがすべって危ない」というのは、梅雨時のことかもしれません(なんとなくそんな気がしてきました)。
仮に、もしそういうことであれば、大高よし男一座の興行の時は、まだ客席の前方は桟敷で、当然、美空ひばり(加藤一枝)も桟敷席を前に唄っていたということになります。
残っている写真から想像する劇場とは違う雰囲気の中で、大高や美空ひばりが舞台に立っていたわけです(これも妄想多めですが)。
そんなこんなで、今回は『小芝居の思い出』に記録された旧杉田劇場の様子についての話でした。
→つづく
2 件のコメント:
面白い資料を見つけましたね。マグロの寿司を出していたとは驚きです。
酒も売っていたのでしょうか。
メニューが出てきたらいいなぁ。
ありがとうございます。これまで知らなかった資料から、旧杉田劇場や大高よし男の実態に迫ることができるかもしれません。後年の門三郎の発言などもチェックしていきたいと思います。
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