(69) 近江資朗取材記(その1)

以前書いた通り、ブログのコメント欄に、近江二郎の弟、戸田史郎さんのご親族からお知らせがありました。

連絡をとらせていただいたところ、我が家からも杉田劇場からも歩いて10分ほどのお近くに住んでおらることを知り、何のめぐり合わせかと、まさに仰天するほどの驚きと喜びでございました。

昨日、念願かなって、杉田劇場スタッフとともに取材させていただきましたが、お話の中で、ご尊父戸田史郎(本名・近江資朗)さんのことはもちろん、兄である近江二郎のことも、その妻である深山百合子のことも、さらには近江二郎の兄弟たちが渡米して苦労しながらも、現地で成功をおさめたこともわかり、いろいろな疑問が一気に氷解しました。

写真もお借りしましたので、スキャンの作業を進めています。戦前の近江一座の舞台写真などもあって、大変貴重な資料です。


さらにはアメリカにおられるご親族のおひとりが、近江一族のルーツを探り、本を出されているのもありがたいことで("FIFTH BORN SON"  George Omi)、ざっと目を通しただけですが、そこからもさまざまな事実がわかってきました。

いまのところ、大高よし男に直接つながる資料はないように思えますが、ただ、近江二郎・深山百合子の娘(養女)にあたる元子さん(芸名・衣川素子)の手記にとても気になる一文があったのです。

そこでは、近江二郎に後継者がいなかった理由のひとつとして

「二代目を名乗るべき人が交通事故で他界」(上掲書)

を挙げているのです。

取材の中で、近江二郎が亡くなったのは昭和24年5月29日だと判明しました。大高よし男が交通事故で他界してから2年半後です。この手記をどう解釈すべきかまだわかりませんが、もしかしたら近江二郎は大高よし男を後継者として考えていたのかもしれません。可能性が否定できない限り、この線での調査も必要になりそうです。

(半歩前進!)

そんなこんなで、大高よし男の調査と並行して、昨日の取材をまとめつつ、近江二郎一座、深山百合子、戸田史郎(近江資朗)の調査も進めていきたいと思います。

戦前・戦中・戦後と、激動の演劇界で生き抜いてきた近江二郎一座と、厳しい時代のアメリカで成功をおさめたご親族の話は、それだけで大河ドラマになりそうなファミリーヒストリーです。

調査を続けて、語り継いでいきたいと思います。


ご位牌を大切に保管されていて、近江資朗さんのものだけでなく、近江二郎・深山百合子連名のご位牌も見せていただきました。ブログで紹介してもいいとの許可をいただきましたので、裏面だけアップさせていただきます。



ご協力いただいたI様ありがとうございました。


→つづく

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