(79) 中野かほると市川門三郎と美空ひばりと

大高よし男の調査は昭和14年、つまり大高よし男が前名・高杉彌太郎の名前で横浜敷島座に登場する前の年、その近江二郎一座の動向を探ることに専念していますが、これがどうにもわからない。『都新聞』の芸界往来に記載がないのは、一座が活動を休止していたか、もしくは東京や大阪、京都、名古屋といった都市部とは違うところで活動していたかのどちらかではないかと考えられます。

というわけで、まとまった報告も難しい時期ではありますが、更新が滞ってもいけないので、今回は地元磯子と芸能の関わりなどを簡単に。


磯子と芸能といえば第一に挙げられるのは「美空ひばり」です。彼女のデビューについては諸説あって、「アテネ劇場」や「上大岡の銭湯」(大見湯、のちに大見劇場に改装)などとも言われていて、特にアテネについてはあちこちの本で書かれていますが、昭和21年4月10日の杉田劇場の広告に「美空一枝」の名前があることから、同年9月開場のアテネ劇場でデビューというのは確実に誤りだと言えます(そのことについて最新の考察が杉田劇場のブログにあります→こちら)。

それ以前に、滝頭の祭りの櫓で歌ったとか、岡村天満宮の神楽殿で歌ったとか、杉田商店街の和菓子屋(菓子一)の店先でみかん箱に乗って歌ったというような話や、緑区中山にある神社の祭礼の時に歌ったなどという話もあるようですが、どれも「デビュー」と言っていいか微妙な線です。

少なくとも舞台のある劇場やホールで初めて歌ったのは旧杉田劇場、というのが地域史を研究されている方々の中では定説です。

美空ひばり(浅草公会堂・スターの手形)

いうまでもなく大高一座(暁第一劇団)の幕間がそれに当たるわけですが、開場当初の杉田劇場に出演していた人たちが後年、映画などで美空ひばりと共演している例が結構あって、大高サイドから調べている身としては、不思議な縁も感じてしまうところです。


大高よし男の追善興行に、当時は芸能界を離れていたとされる中野かほるが出演したことは以前も書きましたし、大高の葬儀の写真に写っているのが中野かほるではないかという仮説も何度かお伝えしています。彼女のプロフィールを調べると、1962(昭和37)年の『三百六十五夜』を最後に引退、とあります。実はこの映画について詳しく調べていませんでしたが、先日、確認したところ、なんと主演が美空ひばりだということに気づきました。

大高よし男と縁のある二人が映画で共演していたということになるわけです(ちょっと強引だけど)。


また、杉田劇場で大高よし男と同時期、さらにその後も頻繁に興行していた市川門三郎は、これまた有名な話ですが、『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』で雪之丞の師・菊之丞役として美空ひばりと共演しています。

さらには、ひばり親子が杉田劇場にやってくる前、昭和21年1月に「かもしか座」の一員として杉田の舞台に立った片山明彦は後年『伊豆の踊り子』で共演します。


杉田劇場と直接の縁はありませんが、横浜出身の女剣劇役者・大江美智子も『大江戸千両囃子』でひばりと共演していますし、杉田劇場のすぐ近く、磯子区中原出身の黒川弥太郎はコマ劇場での特別公演に常連といってもいいほど出演しています。

大江美智子(浅草公会堂・スターの手形)

以前、劇団若獅子の笠原章さんに伺ったところ、黒川弥太郎は喜美枝さんに大変気に入られていたようです。もちろん彼の芸や人柄があってのことでしょうが、同じ磯子区出身というのもどこかで喜美枝さんの思いの中にあったのじゃないかと、いささか地元贔屓の推測もしてしまうところです。


磯子出身者といえば美空ひばりのほかにも、最近では岡村出身のゆずも有名ですし、向井理、井上真央といった若手俳優、EXILEのHIRO、今年生誕100年を迎える高峰秀子の夫・松山善三が磯子区岡村出身だったり、先年亡くなった田中邦衛が長く磯子台に住んでいたことも地元ではよく知られています(浜中裏のバッティングセンターに「田中邦衛」の名前が書いてあることは都市伝説のように伝わっています:こちら)。

田中邦衛(浅草公会堂・スターの手形)

渥美清が杉田劇場の舞台に立ったという話は、裏付けが取れないのでペンディング状態ですが、1970年代の週刊誌上で近江二郎一座と森野五郎一座にいたとあることから、この両劇団が杉田劇場に来演した際、渥美清が座員であったことが判明すれば、渥美清も杉田の舞台に立ったということになります。

Wikipediaなどで渥美清のプロフィールを見ると「新派の軽演劇の幕引き」とありますから、新派を自認していた近江二郎の方が可能性は高いように思います。

近江二郎の養子であった元子さん(芸名・衣川素子)の手紙でも近江二郎一座に渥美清(手紙では「書生田所」とあります)が所属していたと記録されているので、近江二郎一座にいたことは間違いなさそうです。ただ、近江二郎一座が杉田劇場の舞台に立ったのは、昭和21年1月26日からの10日間と同年5月1日からの10日間の計20日間。この時期に渥美清が座員であればいいのですが、彼の68年の人生の20日間です。杉田にいたというのはかなり奇跡的な偶然になるかもしれません。


そんなこんなで、大高よし男を通じて、地元の歴史を掘り起こしているうちに、磯子は芸能の街なんだという思いを強くするこの頃です。

(「いそご芸能史マップ」みたいなのを作ってもいいのかしらん)


→つづく


「大高ヨシヲを探せ!」第一回投稿は
こちら


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