自分の劇団の公演が近いので、十分な調査時間が取れず、今回はちょっと余録みたいなお話。
現杉田劇場(横浜市磯子区民文化センター)のロビーには、片山茂さんから寄贈された資料が掲出されています。旧杉田劇場の舞台に美空ひばりが立った際のポスターなど、大変貴重なものです。しかし、以前、このブログで「大高の遺児」とされてきた写真が、実はまったくの誤解だったと書いたように(こちら)、掲出されている資料のキャプションにはいささかあやしいものがあります。
現杉田劇場も、開館からすでに20年を越えましたので、寄贈された当初(開館当時)の職員はおらず、キャプションの根拠となる証言(資料)や、そもそも誰がこれを書いたのかもよくわからないのだそうです。
その中で、ずっと気になっていたのは、杉田劇場が出した株券と一緒に展示されている市川門三郎一座のチラシ(?)です。
市川門三郎一座チラシ(寄贈:片山茂氏) |
ここには演目と配役一覧と日程が書かれていますが、年号の記載がありません。いつのものだったのかがはっきりしなかったのです。
と、戦後の杉田劇場の新聞広告をずっと追いかけていたら、先日、ようやくこのチラシとの照合ができました。
これは昭和23年12月の「歳末特別興行」と題された公演のものだったのです。
1948(昭和23)年12月21日付神奈川新聞より |
1948(昭和23)12月25日付神奈川新聞より |
チラシには「御好評に依り 市川門三郎 日延べ」とだけありますが、12月25日の広告には演目も書かれています。逆に新聞では日延べの正確な日程がわかりませんでしたが、チラシにははっきりと
「廿四日 廿五日(二日間)」
と書かれています。
21日から23日までが本来の「歳末特別興行」、好評を受けて2日間の日延べをし、24日と25日に『重の井子別れ』『新皿屋敷』を上演したということのようです。
好評だったから大入袋が出て、それも一緒に展示されているということなのでしょうね。
ちなみにこの年、門三郎一座の日延べ興行の後は、12月26日〜29日が「湊川みさよ歌劇団」のグランドレビュー『吉田御殿』。30日は休館で、大晦日から市川雀之助一座の初春興行が始まります。
さて、ロビー掲出資料でもうひとつ気になっていたのは、杉田劇場の緞帳とそれを描いた間辺典夫氏の写真です(ご本人の寄贈)。
キャプションにもありますが、緞帳が完成・寄贈されたは昭和23年で、その際にこの写真を撮ったと伝わっています。
これも正確な時期を裏付ける証拠がなかなかありませんが、写真の右隅に演目の書かれたボードがわずかに見えるので、これを手がかりに調べてみれば撮影時期が判明しそうです。
そこで例によって新聞記事を追ってみたら、昭和25年1月13日付の神奈川新聞の「映画演劇情報欄」にこれと思われる演目があったのです。
そこに記載されていたのは
「肉欲」(新派)「天保白浪」(剣劇)「日本晴れ」(喜劇)
の3本(13日〜16日興行)。
杉田劇場のウェブサイトにも出ている上掲の写真では右端が切れていてよくわかりませんが、ロビーに掲出されている写真をよく見ると、その部分がはっきり写っています。
上記広告の演目で間違いなさそうですね。
しかし、これが緞帳寄贈の際に撮影された写真だとすると、時期は昭和25年1月ということになります。これまで「昭和23年」と書かれていたキャプションとは1年以上の誤差が出てしまいます。
もちろん寄贈時ではなく、後年に記念撮影したものとも考えられますが、これほかに正面からの緞帳写真もあることからして、寄贈時に同時に撮ったと考えるのが妥当かなという気はします(キャプションの修正が必要かもしれません)。
これらの資料は旧杉田劇場や大高よし男のことを調べる上で、重要な一次資料になりますから、これからも細かく調べていきたいところです。
そんなこんなで、今回は杉田劇場のロビー資料をめぐる、ちょっと余談めいたお話でした。
〔お願い〕大高よし男や近江二郎など、旧杉田劇場で活動していた人々についてご存知のことがありましたら、問合せフォームからお知らせください。特に大高よし男の経歴がわかる資料や新たな写真が見つかると嬉しいです。
2 件のコメント:
間に入っていたK氏が、語ったのではないでしょうか。
このあたりを調べ直さないといけないですね。
コメントありがとうございます。どういう経緯があったのでしょうね。よくわかりませんが、いずれにしても裏付け調査みたいなものを重ねて修正した方がよさそうです。
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