(129) 横浜在住の俳優たち(1)

これまで調べた限り、大高よし男が(前名の高杉彌太郎として)近江二郎一座に参加する形で横浜の劇場(敷島座)に初登場したのは、1940(昭和15)年3月です。翌年、1941(昭和16)年1月にも近江二郎一座とともに来演し、同年9月からは松園桃子一座に参加する形で、横浜の舞台に立っています。

その後は、京都や浅草などで活躍することになるわけで、不二洋子や伏見澄子といった女剣劇の役者たちと同様、横浜を試金石として、その人気を背景に全国区に飛躍するというキャリアアップの流れが大高にもあったのかもしれません。


さて、この時期(昭和16年春)、神奈川県新聞(神奈川新聞)紙上で横浜在住の俳優たちを紹介する面白い特集記事が連載されます(全6回)。

横浜の舞台に立つ人ではなく、横浜に住んでいる役者たちを紹介するというもので「横濱演劇懇話會調」とありますから、当時、さかんに劇評などを書いていた小林勝之丞らの一派によるもののようです。

1941(昭和16)年4月23日付神奈川県新聞より

この連載からは、これまでにも部分的に何度か引用してきましたが、情報の整理と後学のために、ここで記事に挙げられた役者をまとめて引用しておきたいと思います。


連載は上掲の通り、昭和16年4月23日が初回で「横濱に住む俳優群を語る」というタイトルでした。第2回は4月25日で「ハマの長老俳優を描く」と題して、岡田梅男と市川雷昇(?)を紹介しています。第3回が翌26日で「埋もれる俳優の妙技」として、昔の俳優技術を回顧する内容に、付録として「第1回」の横浜在住の役者紹介の続きが掲載されています。

どういうわけか第4回が飛んでいて、4月28日に第5回「有為轉變の横濱在住俳優」として、主に引退した役者を紹介。第6回は5月4日「脚光を浴びる人 舞臺を退いた人」、最終回が5月12日で「過ぎにし笑話 松井幾人初舞臺」。それぞれの回に付録めいた形で役者紹介が掲載されていて、歌舞伎(小芝居)だけではなく、大衆演劇の方も取り上げられているので、横浜の演劇史や俳優の経歴を知る上で貴重な資料と言えそうです。


というわけで、今回はひとまず初回に挙げられている役者を引用列記したいと思います。記事中の住所には番地も書かれていましたが、いまなお存続しているものもありますので、その部分は削除して紹介します。


市川團之助
本名:羽田久太郎/六十七歳/中区榎町/吉右衛門一座に所属
※中区榎町は現在では南区になっていて、市営地下鉄蒔田駅の近くです

市川升紅
本名:岡村榮一/二十六歳/中区西中町/松竹國民移動劇團
※中区西中町も現在は南区で、京急黄金町駅のそば

石原美津男
本名:石原光世/三十三歳/中区曙町/桜木翠香門下の女形。主に市内出演。目下は伊豆巡業

市川新升
六十七歳/中区通町/故新蔵門下。祭禮等に出演。
※通町はいまは南区。井土ヶ谷と弘明寺の中間あたり

市川荒右衛門
本名:岩崎近弘/中区西前町/六十五歳/故荒二郎門下。義士劇の座頭。太夫元。
※西前町は現在は西区

市川茂々市
七十歳/中区睦町/故市川團蔵門下。主に舞踊温習會の講師。振付。
※睦町も現在、南区

市川三蔵
本名:芋川貞男/四十歳/中区榎町/三升門下
※榎町は南区で、最初に挙げた市川団之助の近くに住んでいたよう

大谷門二郎
本名:椎名豊吉/三十五歳/中区三春台/友右衛門と同じ行動
※以前も何度か言及しましたが、後に「友吉」→「友十郎」となる役者で、更生劇の主要メンバー

澤村清之助
本名:鈴木虎太郎/五十八歳/中区花咲町/時々巡業に出づ
※清之助についても以前何度か言及しましたが、更生劇の主要メンバーです

市川莚蔦
本名:近藤/五十二歳/中区中村町/主として巡業
※中村町も現在は南区

澤村訥美太郎
五十二歳/神奈川区子安大口/近県のみ巡業

中村芝梅
故雀右衛門の弟子/中区末吉町/主として巡業

市川島蔵
莚升門下
※記事には「右に同じ」とあって「中村芝梅」と同じ、ということのようです

市川蔦之助
本名:平尾/中区末吉町/日吉劇の歌舞伎劇振付

市川荒子
筑紫奈美子とも称す/三十五歳/中区末吉町/故荒二郎門下。主に近県巡業。

市川筆之助
本名:長谷川/中区曙町/三河家一門。近県巡業

佐久良實
中区前里町/近県巡業、女形にて座長。
※前里町は現在南区

澤村訥紀十郎
六十五歳/上州の人/中区浅間町/巡業
※浅間町はいまは西区

静川君之助
二十八歳/九州熊本出身/中区浅間町/巡業
※同上

林重四郎
本名:林重男/早大文科中退/四十一歳/中区長者町/近県巡業

北島晋也
本名:小林/三十五歳/中区永楽町/故関三十郎門下、巡業
※永楽町も現在は南区

牧野映二
本名:木村基/三十一歳/中区白妙町/森野五郎門下、巡業
※白妙町も現在南区

生島波江
本名:小島キク/二十二歳/中区立野町/巡業を主とする
※日吉劇や大高一座(暁第一劇団)にも名前の出る人

藤代朝子
二十五歳/中区松影町/名古屋へ出張中、笑ひの王国出身


以上が初回に掲載された役者たちです。更生劇の関係者が多いのかな、という印象を受けます。取り上げる基準として、記事中に「横浜に家がある人で、横浜歌舞伎座(日吉劇所属)や敷島座(籠寅所属)ではない人」と注記されています。ただ、生島波江などは日吉劇のメンバーだった時期もあるので、この辺の基準は少し曖昧なようです。


多くの劇場が伊勢佐木町とその周辺にあったせいでしょうか、現在の南区に住んでいた人が多いように感じます。日吉良太郎や近江二郎も井土ヶ谷(南区)に住んでいたし、大江美智子(二代目)の家もまた井土ヶ谷からほど近い南区永田町にありました。

劇場にも近く、交通の便のいい場所として、現在の南区にあたるエリアには多くの芸能関係者が住んでいたのでしょうね。

ちなみに、全6回の連載に大高よし男の名前はまったく登場しません。前名の高杉彌太郎もありません。注目度も影響しているとは思いますし、実際、横浜に住んでいなかったのだとも思いますが、少なくとも懇話会のメンバーからは「横浜在住の役者」として認識されていない人だったと思われます。


そんなこんなで「調査報告」というにはかなり手抜きですが、今回は戦前の新聞からの引用で、当時、横浜に住んでいた役者たちを紹介しました。次回はこの続きの予定です。


→つづく
(次回は3/6更新予定)

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