(85) 美空ひばりとアテネ劇場

美空ひばりの舞台デビューは1946(昭和21)年3月頃の杉田劇場ということで、地域史を研究されている方々も含め、認識は一致しているところですが、アテネ劇場が先でその後が杉田劇場と書かれている書籍やネット記事などもいまだに多くみられます。

これをさらに混乱させるのが、アテネが当初は「磯子劇場」と呼ばれていたという話もあることや、後年の明細地図でアテネ劇場が「磯子映画劇場」となっていることです。


アテネ劇場は昭和21年9月9日に開場しました。

1946(昭和21)年9月8日付神奈川新聞より

ですから、同年4月10日の杉田劇場の新聞広告に「ミソラ楽団」の文言があり、その頃のものと思われる大高一座のポスターに「美空一枝」の記載があることからすると、アテネ→杉田が誤りであることは明白です。

ただ、もし仮に「アテネ劇場」の前身が「磯子劇場」ないし「磯子映画劇場」で、杉田劇場より前にそうした劇場があったのだとしたら、アテネ→杉田の順もあり得ることになります。


この仮説が、現杉田劇場で「ひばりの日」の企画などをされてるTさん(うめちゃん)ともども、すっきりと事実関係を断定できず、モヤモヤを残していたところでした(Tさんが検証の経緯を書いているブログが→こちら)。

個人的に芦名橋近くに住んでいる年配の知り合い何人かに話を聞いても「磯子映画劇場なんて聞いたことがない。あそこはずっとアテネだ」と言うばかりです。

ふむ。

ところが、先日、中央図書館で日吉良太郎について調べる中、柴田勝著『横浜歌舞伎座の記録(三人の団十郎)』を閲覧していたところ、巻末に、戦後の横浜の劇場に関する記載があって、「アテネ劇場」の項に

「丗五年三月、磯子映画劇場と改称した」

と書かれていたのです。

柴田勝著『横浜歌舞伎座の記録』より

アテネ劇場は昭和21年9月に開場し、昭和35年3月に「磯子映画劇場」となった、というのです。

念のため、新聞記事を確認してみたところ、昭和35年3月30日の映画情報欄に

「アテネ改 磯子映劇」

と書かれているのを見つけました。

1960(昭和35)年3月30日付神奈川新聞より

これでアテネ劇場の前身が磯子映画劇場ではないということがはっきりしたのです!(ちなみに新聞では前日の3月29日までは「アテネ」としか書かれていない)


戦時中に日用品市場だったところを、戦後になって改装し、昭和21年9月9日にアテネ劇場として開場。昭和35年3月30日に磯子映画劇場と改称した。これがアテネに関する情報としては正しい流れになります。

ですから、やはり美空ひばりは昭和21年3月頃に杉田劇場で舞台デビューし、その後、アテネ劇場の舞台に立ったというのが正確な情報ということになります。


というわけで、今回は大高調査の過程で判明した美空ひばり舞台デビューについて書きました。


追記
同じ日に『西区史』も閲覧して西区にあった劇場について調べました。その結果、前々回の投稿( (83) 戦前の杉田と芝居小屋)に一部誤認があったので追記しました。また、平沼の「由村座」で、関東大震災後に近江二郎一座が興行していたという記載も見つけたので、大高とは直接の関係はないと思われますが、今後、調べてみたいと思います。日吉一座が横浜に初登場したのも昭和8年らしいし、大正末期から昭和ひと桁の時期を追加調査しないと、原点が見えない気がします。調査範囲がどんどん広がる…

→つづく



〔お願い〕大高よし男や近江二郎など、旧杉田劇場で活動していた人々についてご存知のことがありましたら、問合せフォームからお知らせください。特に大高よし男の写真がさらに見つかると嬉しいです。 

2 件のコメント:

うめちゃん さんのコメント...

昭和35に磯子映画劇場となったのに、磯子区明細地図では昭和40年版でもアテネ劇場としているのは、
地図会社の怠慢だったのか、あるいは、アテネ劇場の看板がまだ出ていたのか、
どちらかでしょうね。

FT興行商社 さんのコメント...

アテネ劇場と磯子映画劇場の関係ははっきりしたように思いますが、厳密に言えば地図問題が残っているのですね。アテネの看板が残っていた可能性が高いとは思いますが。
長谷巌の「磯子館」問題もまだ未解決です…先は長い…