(83) 戦前の杉田と芝居小屋

地元磯子区には地域史を丹念に調べたり、昔の思い出を本にしている方が結構おられて、地元ならではの情報もあるので、旧杉田劇場や美空ひばりの調査にはとても役に立ちます。もっとも大高よし男については片山さんの証言以外、詳しい内容が出てこないのがいささか残念なところではありますが…

磯子地域史といえば岡村の葛城峻さんが筆頭に挙げられますが、そのほかにも中原にお住まいだった(わが家のすぐ近く)小玉忠長さんもいろいろな記録を残されていますし(旧杉田劇場の平面図も小玉さんが残している)、杉田八幡宮の宮司・三浦豊さんの本にも明治・大正・昭和の杉田の様子が克明に記録されていて、大変貴重なものです。


杉田商店街に創業100年を超える和菓子店「菓子一」があります。その先代の店主、相原一郎さんも積極的に記憶を書籍にして刊行された方で、以前から著作は拝読していますが、先日、磯子図書館でこれまで未読だった『杉田の歴史・故郷讃歌』を借りて読んでみました。

大高よし男に関する記載がわずかでもあるかと期待を込めてページを捲ったものの、残念ながら新たな事実を発見することはできませんでした。その代わりに、戦前、昭和10年代の杉田で旅まわりの劇団が芝居を上演していたという記述をふたつ見つけることができたのです。

ひとつめはこんな内容。

「昭和十年代、東漸寺境内の琵琶池の海側に冬の間だけ漁師の海苔干し場が結構広く有り、春になり海苔が採れなくなると子供の絶好の遊び場になっていました。この広場に掘っ立て小屋の旅まわりの芝居が二〜三週間興業するのです(中略)中でも『福島一夫一座』は人気があって、当代、映画人気スター林長二郎(後に本名の長谷川一夫と改名)の弟子とかで仲々の二枚目。主にチャンバラの立ち回りが得意で、「名月赤城山」「沓掛時次郎」等の縞の合羽に三度笠スタイルの股旅物が売りでした」(相原一郎『杉田の歴史・故郷讃歌』p.37)

福島一夫一座については、詳細がよくわかりません。上記に続く文章からすると、福島はどうやら横浜出身の役者のようで、戦後は「金沢文庫の海側にあった八景園という百円温泉に出演していました」ともありますから、このあたりを手がかりにすれば何かわかるかもしれません。

福島一夫一座以外にもこんな記述がありました。

「芝居小屋と言えば杉田にもう一カ所、現在の商店街三叉路先の「ながら」さん裏の空き地に「中村徳三郎一座」といって何回か、かかりましたが中区浅間町方面に常設小屋を持ったと聞きました」(同書 p.38)

浅間町は現在は西区ですが、西区が中区から分区したのが昭和19年のことなので(今年は西区制80周年)、昭和10年当時の記憶としては中区浅間町ということになるのでしょう。

中村徳三郎一座について調べてみると、昭和17年11月の新聞記事にその名前を見つけることができました。「横濱新舞劇団」という新たな劇団を結成して、戸部映画劇場で旗挙げ公演をやったというニュースです。

1942(昭和17)年11月24日付神奈川新聞より

記事中に劇場(映画館)の所在地としてある「中区天神町」というのは旧番地で、現在は戸部本町、現在の戸部駅周辺ということになります。

消えた映画館の記憶」では「戸部映画劇場」の番地が天神町ではなく「西区石崎町1-13」になっています。石崎町も旧番地なので対照表で確認すると、「戸部本町51番地」になるのだそうです。やはりこれも「戸部本町」で京急戸部駅のすぐそばですから、いずれにしても戸部駅周辺あたりにあった劇場(映画館)ということは間違いなさそうです。

記事には「破竹の勢ひで常打興行を開始」とありますから、中村一座がここを常打ち小屋としたのかもしれません。相原さんが「常打ち小屋を持った」と書いているのはこの劇場のことを指している可能性が高いと思われます。

中村徳三郎や福島一夫などは、おそらく横浜や神奈川県内を回っていた劇団で、大高よし男や近江二郎などとは直接の関係はないと考えていいでしょう(言葉は悪いですが、大高や近江二郎より格下の劇団のように思われます:この点、追加調査が必要です)。

ですから、ここに大高の手がかりがあるとは思えませんが、杉田劇場や大高よし男が登場する以前に杉田でこういう芝居が上演されていたというのはとても興味深い話です。


相原さんの記述にある「ながら」は、僕が転居してきた頃からずっと同じ場所で営業している、たい焼きや今川焼きやおにぎりなどを売っている商店で、その裏手はほとんど住宅ですが、一部駐車場にもなっているので、あのあたりがもともと空き地だったのかもしれません。

(あそこに小屋掛けの芝居があったのかと思うとなかなか感慨深いものがあります)


そんなこんなで、今回は余談めいた感じですが、戦前の杉田で上演されていた芝居についての投稿となりました。大高調査の方は日吉良太郎一座と川上好子の線で、引き続き図書館通いを続けています。


追記(2024.7.3)
『西区史』を閲覧したところ、中村徳三郎の「戸部映画劇場」は「天神町1-7」にあった劇場で、関東大震災までは浪曲の寄席「柳亭」、震災後に「柳座」となって宝仙キネマ、天神座、戸部映画劇場と名前を変えて、上掲の新聞記事にある昭和17年11月から演劇専門の劇場になったのだそうです(昭和18年9月には再び映画館となったらしい)。「消えた映画館の記憶」にある「戸部映画劇場」も同じ名前ですが、戦後、石崎町1-13(戸部警察の並び)に開場した映画館ということです。よく考えれば横浜大空襲があったのですから、同じものと考える方がおかしかったのですね。


→つづく



〔お願い〕大高よし男や近江二郎など、旧杉田劇場で活動していた人々についてご存知のことがありましたら、問合せフォームからお知らせください。特に大高よし男の写真がさらに見つかると嬉しいです。

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