(23) 振り出しに戻る

 関哲洲→関彌太郎→高杉彌太郎→大高よし男

という改名の流れはとても説得力がありそうだし、いい感じに思えます

が、

残念ながら再調査でいきなりの頓挫。

既報の通り、昭和17年1月26日の新聞記事には、2月の敷島座に「高杉彌太郎改め大高義男」が出演すると書かれていますが、そのすぐ横に「金美館が籠寅演藝部と提携」というタイトルの記事がありました。1月31日から中村吉十郎の歌舞伎と千葉蝶三朗の喜劇で開演するとの内容です。なんとその出演者に

関哲洲

の名前があったのです(画像の一番左)。

昭和17年1月26日付神奈川新聞より

伊勢佐木町の敷島座と南吉田町の金美劇場。

近いとはいえ、さすがに同時期に両方の舞台に立つことは、ちょっと難しいだろうと思います(敷島座の興行も1月31日初日)。

つまり、大高ヨシヲと関哲洲は別人であると判断せざるを得ません。


ただ、同年11月9日には同じ敷島座で杉山昌三九(すぎやま しょうさく)の劇団世紀座の興行があるとの記事があって、その中に出演者として

関彌太郎

の名前があるのです。

昭和17年11月9日付神奈川新聞より

これが関哲洲の異名なのかは不明ですが、少なくとも関彌太郎という人がいたことは間違いありません。

関彌太郎と関哲洲のことは少しわかりましたが、大高探しはこれで振り出しに戻ります。

(いい手がかりだと思ったんだけどなぁ…)


→つづく


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