(63) 杉田劇場の命運、そして大高調査の原点へ

前回の投稿で書いたように、1947(昭和22)年の春にマッカーサー劇場がオープンしたのをきっかけに杉田劇場が経営上のダメージを受け始めたと思われますが、同年の5月になるとさらなるパンチを繰り出すかのように

5月3日 横浜復興会館(戸部)
5月6日 横浜国際劇場(野毛)
5月15日 オリエンタル劇場(阪東橋)

が相次いで開館します。

それぞれにスタートダッシュをかけるべく、演目には魅力的な顔ぶれが並ぶわけですから、開館から1年以上も経った杉田劇場はいささか新鮮味を欠く存在になっていたのかもしれません。

復興会館にはディック・ミネ(戦時中は「三根耕一」と改名させれらていた)や、僕らの世代でも歌と名前は知っている並木路子が来演しているし、国際劇場には女剣劇の大スター・大江美智子がやって来ます。オリエンタル劇場では「キドシン」として人気のあった喜劇の木戸新太郎一座が公演しています。

1947(昭和22)年5月3日付神奈川新聞より


1947(昭和22)年5月10日付神奈川新聞より

1947(昭和22)年5月22日付神奈川新聞より


1947(昭和22)年5月13日付神奈川新聞より

大高よし男亡き後、市川門三郎の歌舞伎を中心に演目を並べていた杉田劇場ですが、当時の人気者を並べた他館のラインナップに比べると、やはり格の違いを見せつけられてしまっているような気がします。

横浜国際劇場の開館を報じる記事でも

"戦災後ながらく實演劇場を持たなかつた横濱に"

と書かれてしまうくらいですから、1年以上も実演劇場で頑張ってきた杉田劇場のカゲはすっかり薄くなってしまった印象です。

1947(昭和22)年5月6日付神奈川新聞より

地元杉田には市川門三郎一座の熱烈なファンもいて、門三郎だけでなく女形の市川女猿(のちに大歌舞伎で澤村可川を襲名)もかなりの人気があったようですが、交通の便もいい横浜中心部に続々と建つ新劇場に客を奪われたのは否めないところです。この5月が杉田劇場の最初のターニングポイントなんでしょうね。

(大江美智子まで来演するとなると、仮に大高が生きていたとしても、剣劇という同じジャンルの中では太刀打ちはできなかったことでしょう)

余談ですが、市川門三郎はのちに大歌舞伎に復帰し市川白蔵となります。門三郎時代の1957年には映画『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』に出演し、美空ひばりと共演しています。ともに杉田劇場の舞台に立った2人の出る映画かと思うとなかなか感慨深いものがあります。


さて、戦後の杉田劇場から大高の痕跡を探す作業は、そろそろ手詰まりになりつつあります。三回忌の追善興行が行われた昭和23年まではつぶさに調べる必要がありますが、そろそろ原点に戻って、戦前の大高の活動をもう一度精査する必要がありそうです。

大高よし男の記録の中でいまのところ一番古いのは、昭和15年3月、伊勢佐木町の敷島座における近江二郎一座の興行を報じる新聞記事です(前名の高杉彌太郎として)。

1940(昭和15)年2月29日付横浜貿易新報より

これをもう一度読み返してみると、大高(高杉)は芝居を始めたばかりの青年俳優や、ゲスト(加盟)俳優ではなく、ある程度の人気と実力を兼ね備えた役者として扱われていた気がします(「豪華メンバー」とされているわけですから)。

また、この時の配役一覧にはのちに杉田劇場で大高と協働する「大江三郎」も載っていますが、紹介順からして役者としては明らかに大高(高杉)の方が格上という印象です。

1940(昭和15)年2月29日付横浜貿易新報より

大江三郎は昭和18年の『演劇年鑑』に掲載されている「日本演劇協会会員」一覧では劇作部と演出部に名前がありますから、役者というより文芸部員だったことはほぼ間違いないと思います。

そんなことも含め、もろもろの事実を突き合わせると、やはり当時の大高よし男(高杉弥太郎)は近江二郎一座に所属していた、と考えるのが妥当でしょう。

実際に、昭和13年や昭和14年の新聞記事で横浜に来演している他の一座を調べてみても、高杉の名前はまったく出てきません。近江二郎一座自体が、久しぶりの横浜興行だったわけですから、大高も昭和15年までは横浜の舞台には立っていなかったと考えるのが自然です。


近江二郎一座は昭和6年にアメリカ巡業からの帰った後は「グロテスク劇」を看板に掲げ、浅草などで興行を重ねていたようです(ただしその時期の一座には高杉の名前はありません)。また、昭和13年あたりまで、名古屋で年一回程度のペースで定期的に公演していたこともわかっています。昭和10年代の近江二郎一座について詳細がわかれば、大高の手がかりが見つかりそうです。

ひとまず次の調査対象は戦前の名古屋の新聞ということになりそうです。

(また国会図書館か…)


→つづく


〔お願い〕大高よし男や近江二郎など、旧杉田劇場で活動していた人々についてご存知のことがありましたら、問い合わせフォームからお知らせください。特に大高よし男の写真が見つかると嬉しいです。


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