昭和23年9月に大高よし男三回忌追善興行を終えた暁第一劇団は、その後、精力的に活動を再開します。三回忌追善に特別出演した藤村正夫を迎えて「新生暁座」の名前で次々と公演を打っているのです。
杉田劇場では
10月6日〜27日11月22日〜12月13日
が「藤村正夫外三十数名」の「新生暁座」の公演日程で、それまで歌舞伎の市川門三郎一座や大衆演劇の市川雀之助一座に頼りきっていた杉田劇場に、ふたたび暁第一劇団の灯がともったような印象を受けます。
ちなみに10月9日からの興行では『涙雨五千両』が上演されます。
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1948(昭和23)年10月9日付神奈川新聞より |
これは現杉田劇場に残されているポスターにも載っている演目で、大高一座の得意なレパートリーのひとつだったのかもしれません。
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所蔵:杉田劇場 |
以前も書いたように、藤村正夫はもともと日吉良太郎一座にいた人で、昭和11年にいろいろあって独立し、自分の一座を由村座で旗揚げしますが、どうやらその後は日吉劇時代ほどの人気にはならなかったようです。
とはいえ、初代大江美智子が倒れた時(昭和14年1月)には一座に参加していたようですし、役者としてはやはり特筆すべき人気と実力を兼ね備えていたのでしょう、銀星座の自由劇団(この時は「自由座」)の旗揚げ公演(事実上、戦後の日吉劇団の再出発と考えていいと思う)にも特別出演の形で出ています。
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1946(昭和21)年8月15日付神奈川新聞より |
そんな藤村がどういう経緯で大高の三回忌追善興行に出演し、その後の暁劇団を事実上率いるようになったのかは不明ですが、元・日吉劇の鳩川すみ子と朝川浩成による劇団が杉田劇場で公演していることからも(詳細はこちら)、銀星座と杉田劇場、あるいは鈴村義二と日吉良太郎の間にはなんらかの関わりがあり、その中でこういった流れになったのかもしれません。
11月1日からは「中村喜昇一座」が杉田劇場に出演しますが、中村喜昇といえば日吉劇にも「少年歌舞伎」の一座として出演していた人ですから、このあたりにも杉田劇場における日吉劇の影響が垣間見られます(杉田劇場に出た時には「青年歌舞伎」になっているのが面白い)。
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1944(昭和19)年2月24日付神奈川新聞より |
1948(昭和23)年11月2日付神奈川新聞より |
〜余談〜
尾上芙雀の話によると、大高一座には日吉劇の子役たちがいたとあるので、中村喜昇も戦後は名前を変えて一座に参加していたのが、ここで元の名前に戻り一座を復活させたという可能性も否定できません(調べてみると映画『明治一代女』(1955)の劇中劇出演者に中村喜昇の名前がある)。
閑話休題
いずれにしても、三回忌追善興行以降、暁第一劇団は藤村正夫を事実上の座長として、再出発を図ったようです(この時期は「新生暁座」となっている)。
新生暁第一劇団の活動は、杉田劇場にとどまらず、南区高根町の横浜オペラ館(元「オリエンタル劇場」)にも広がっています。11月13日から17日までのスケジュールで興行が行われているのです。
上述の2つの期間の合間に、別の劇場にも出るほどですから、活動が充実していた印象を受けます。さらには驚くことに、この広告にあの「大江三郎」の名前が出てくるのです。
1948(昭和23)年11月13日付神奈川新聞より |
いうまでもなく大江三郎は大高一座の支配人で、近江二郎一座でも作・演出などを担当した文芸部員です。大高調査における最重要人物のひとりとも言っていいでしょう。
おそらく大高亡き後、大江三郎の名前が新聞紙面などに出るのはこれが初めてではないでしょうか。座長の没後も活動を続けていたことがわかりましたし、このことからも藤村正夫率いる新生暁劇団が、大高一座の残党によって成り立っていたことがわかります。
なお、この広告では「藤村正夫と新生劇團 第一回公演」となっていますが、大江三郎がいることからしても、またスケジュール的にも、この新生劇団は杉田劇場の新生暁座と同じものと考えていいと思います。
その後、11月下旬からの興行では、広告でも「藤村正夫」が前面に出て、新生暁劇団はさながら「藤村正夫一座」の様相を呈してきます。
1948(昭和23)年11月22日付神奈川新聞より |
さらに年末の12月14日からはふたたびオペラ館での興行が始まります(おそらく19日まで)。そして、ここにも「大江三郎」の名前が登場しています。
1948(昭和23)年12月14日付神奈川新聞より |
杉田劇場とオペラ館のスケジュールを合わせると、大高の三回忌追善興行以降、藤村正夫をトップに据えた暁劇団の公演は
10月6日〜27日 杉田劇場11月13日〜17日 オペラ館11月22日〜12月13日 杉田劇場12月14日〜19日 オペラ館
となり、ほぼ休みなく、といってもいいほどの興行が続いていたわけです。
これですっかり軌道に乗ったかに思えたこの関係は、しかしそう長くは続かず、年明け1月から劇団はまた新たな展開を見せることになるのです。
〔お願い〕大高よし男や近江二郎など、旧杉田劇場で活動していた人々についてご存知のことがありましたら、問合せフォームからお知らせください。特に大高よし男の経歴がわかる資料や新たな写真が見つかると嬉しいです。